トレバー・バービック



トレバー・バービック(Trevor Berbick 1954年8月1日生)
 [ジャマイカ・プロボクサー]


 20歳からボクシングをはじめて、わずか11戦(8勝3敗)でジャマイカ代表となりモントリオールオリンピックへ出場。ルーマニア代表ミルチェア・シモン(銀メダル獲得)に負けている。1976年、カナダでプロデビューし、1979年にカナダヘビー級タイトルを獲得。1981年4月11日、ラリー・ホームズの持つWBC世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、判定負け。試合前に両者の言い争いが加熱、乱闘騒ぎとなり、警官になだめられていたバービックが車の屋根の上から助走をつけたホームズにドロップキックされる場面がテレビ放送され、話題となった。同年7月21日、英連邦ヘビー級タイトルを獲得。12月11日、モハメド・アリと対戦して判定で勝利し、アリを引退に追いやった。

 1985年、全米ヘビー級タイトルを獲得。1986年3月22日、ピンクロン・トーマスに判定勝ちし、WBC世界ヘビー級タイトルを獲得したが、同年11月22日の初防衛戦でマイク・タイソンに2ラウンドTKO負けし、わずか8ヶ月でタイトルを失った。1991年12月22日、UWFインターナショナル主催の両国国技館での「格闘技世界一決定戦」で高田延彦と対戦。1R2分52秒、高田のローキックで戦意を喪失し自らリングを降りてしまい、負けとなった。バービックは下半身への蹴りは無いルールで行われるものとして理解しており、高田とレフリーに散々そのことをアピールしていた。高田はそのルールを理解していたかは不明。

 1991年、バービックの元マネージャーだった女性の頭に拳銃を突きつけ金を奪ったとして有罪判決が下された。翌1992年には、雇っていたベビーシッターを強姦した罪と住宅ローンのために元妻のサインを偽造した罪で計懲役5年の判決が下された。15ヶ月間服役した後、アメリカからの国外強制退去を命じられた。

 2000年5月、カナダのシェーン・サトクリフとの試合に判定で勝利するが、 CTスキャンで脳に血栓が見つかりボクサーライセンス抹消で引退した。引退後はアメリカへ舞い戻り、ボクシングトレーナーとして妻・子供とフロリダに住んでいたが、2002年12月、マイアミで交通違反で逮捕、移民局で1ヶ月間身柄を拘束された後、再び国外強制退去を命じられた。

 2006年10月28日、バービックの撲殺死体がジャマイカの教会の中庭で発見された。犯人としてバービックの18歳の甥と共犯の男が逮捕され、犯行動機は土地の所有権紛争、凶器は鉄パイプだった。その後、甥に終身刑、共犯の男に懲役14年の判決が下された。

 2006年10月28日死去(享年52)


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