エドワード・ダウンズ



エドワード・トマス・ダウンズ(Edward Thomas Downes 1924年6月17日生)
 [イングランド・指揮者]


 1924年に銀行の出納係の息子として生まれる。14歳で学校を中退すると、父親によって勤めに出され、ガソリンスタンドで週84ポンドを稼いで糊口を凌いだ。5歳からヴァイオリンとピアノを習っていたため、16歳で奨学金を得てバーミンガム大学に進み、英文学と音楽を専攻してコーラングレーの演奏を始めた。アバディーン大学から2年間カーネギー奨学金が得られたことで、指揮者としての修業がしやすくなり、お蔭で王立音楽大学大学院課程を修了後に、ヘルマン・シェルヘンに師事することができた。

 コヴェントガーデン王立歌劇場との長期にわたる実り豊かな関係は、ラファエル・クーベリックの助手に任命された1952年に遡る。初仕事はマリア・カラスのせりふ付けだった。コヴェントガーデン劇場には17年間にわたって籍を置き、准音楽監督として1991年に退任した後も、例年のように客演指揮者として舞台を踏んだ。コヴェントガーデンに少なくとも950回出演して、49作のオペラを指揮している。

 そのほかに、1970年にオーストラリア歌劇場の音楽監督に就任し、1973年にはシドニー歌劇場のこけら落しを指揮した。また、1983年に勇退するまでオランダ放送交響楽団の首席指揮者でもあった。世界中の主要なオーケストラと共演したが、中でもBBCノーザン交響楽団(現・BBCフィルハーモニック)との関係はとりわけ長期に及び、首席客演指揮者として迎えられてから、首席指揮者に抜擢され、最終的には名誉指揮者に上り詰めた。

 1955年にロイヤル・バレエ団の踊り子だったジョーン・ウェストンと結婚。彼女は後に振り付け師や、テレビ局のプロデューサーを務めている。息子のカラクタカス(1967年生)はミュージシャンと録音技師になり、娘ブーディカ(1970年生)はビデオのプロデューサーになっている。

 致命的な病気というわけではないものの、長年ダウンズは段々と難聴になり、視力もほぼ失っていた。人工股関節の施術の後で健康が衰えると、妻のジョーンに頼りっぱなしも同然であった。そこへもってジョーンが末期の膵臓癌に侵されていて、病魔が肝臓にも転移しており、余命は数週間であることが明らかになった。ジョーンは、身内に宛てた手紙の中で、治療に対する自分の決意を次のように打ち明けている。
「しなければならなかった計画は、すべて実行してきました。いま私は、言っておかねばなりません。たとえもし、あとほんの少ししかこの世にいられないとしても、死ぬことは全然怖くないのだと。自分は無宗教だし、自分に関する限り宗教は興味ありません。だからそのことをちょっと考えた人は、もう心配しないでね。愉快で面白い人生でしたから、何の後悔もありません。あとどれだけ生きられるか分からないけど、あなたたちと、ご家族みんなに愛を送ります。生ある限り人生を楽しんで下さいね。 愛情をこめて ジョーン」

 2009年7月10日にダウンズ夫妻は、チューリヒの安楽死団体「ディグニタス」の幇助によって、ともに自ら命を絶った。二人の自殺はイギリスのマスメディアによって重大事として報道された。子供たちは、両親が「深刻な健康の問題」に苦しんでいたことを認める声明を発表した。発表された声明文によると、ダウンズは、たとえ聴覚を失い、失明しても、生き続けることができた筈だが、末期ガンに苦しむ妻に先立たれることを本人は望んでいなかったのだという。妻のジョーンは我が子が立ち会うことを望んではいなかったが、ディグニタスはそれを奨励しており、子供たち立ち会いのもと行われた。ダウンズ夫妻はベッドで横になって手をつなぎ、ペントバルビタール(鎮静麻酔薬)を服用して心中を遂げたという。

 2009年7月10日死去(享年85)


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