浮世亭夢若



浮世亭夢若(うきよていゆめわか 本名:吉田重雄 1915年生)
 [漫才師]


 呉服屋の倅。浮世亭夢丸の弟子。松鶴家光晴とコンビを組み、戦前から吉本の寄席小屋で活躍。戦後は戎橋松竹等に出演。千土地興行所属。相方の光晴は悪声を生かした浪花節の真似や歌舞伎の俄(パロディー)で売り、夢若は端正な顔立ちで身の軽さで踊ったりした。1952年から1年間は新日本放送(現在の毎日放送)の専属となる。1954年からは、中田ダイマル・ラケット・浮世亭歌楽・ミナミサザエらとともに朝日放送の専属となり、「漫才教室」の司会で光晴の「ベンキョー、ベンキョー」が名物となった。

 人気絶頂の1960年、和歌山県白浜町の職人宿で夢若は自殺した。この経緯に関しては夢若が事業で大阪府池田市に養犬場を建て血統書付きの犬を養殖をし販売するという事業を始めようとしていたが工事中に事故を起こしそれが元で死人が出たので数百万円の慰謝料を支払わなければならなくなった。しかし千土地興行から多くの借金をしていたので借りれなかったので師匠の夢丸、浮世亭歌楽兄弟に相談したところ「金は工面したるさかい、おまはんは隠れとき」と言われその日舞台もあったがすっぽかして白浜町に行った。そこの職人宿で気を紛らわせるため大酒を飲み、そのまま睡眠薬を多量摂取し死去した。

 光晴は夢若自殺後、吾妻ひな子や1965年からは夢若の弟子の浮世亭秀若とコンビを組み漫才を続けるが、夢若の自殺のショックや入れ歯の噛み合わせに悩まされていた事などから全盛期ほどの人気や芸は戻らず、1967年に亡くなった。二人のコンビ仲が悪いことで知られ、楽屋でも一緒にいることはほとんどなかったという。漫才の稽古、打ち合わせも殆どしなかった。タクシーでの現場移動でも別々にするほどだった。しかし自分より若い相方の夢若の葬儀・告別式では光晴は芸人・関係者いるにもかかわらず大泣きしていたという。それほど相方思いであった。

 1960年10月5日死去(享年45)


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