パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落事故



 パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落事故(パシフィック・サウスウエストこうくう182びんついらくじこ)は、1978年9月25日、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ上空において着陸進入中のボーイング727-200型機と訓練中のセスナ機が空中衝突し、両機とも墜落した航空事故である。


 1978年9月25日、サクラメント発サンディエゴ行きのパシフィック・サウスウエスト航空182便はサンディエゴ国際空港の滑走路27に着陸態勢に入っていた。この際、管制官にセスナ172が前方を飛行していることを伝えられクルーは目視確認していた。しかし、着陸進入中、管制に気を取られているうちにクルーはセスナを見失ってしまう。この時パイロットは、「I think he's pass(ed) off to our right.」という、「右を通過してると思う」とも「右を通過したと思う」とも聞き取れる曖昧な発言をした。これを管制官は「右を通過してると思う」と聞き取ってしまい、『現在182便の横をセスナが通り過ぎており、クルーはセスナを目視している』と受け取った。ここでクルーの実際の状況と管制官が想像する状況が食い違い、空中衝突という最悪のシナリオへと突き進んでいく。

 クルーが視認し続けていると思っている管制は182便に着陸許可を出した。機長はセスナは後ろにいると思い込んでいたが、実際はセスナの後ろに接近していた。この時セスナはちょうど182便のウインドウガラス下部(ワイパー付近)にいた。また、クルーはセスナを見失っていたにもかかわらずタワーに連絡しなかった。国家運輸安全委員会(NTSB)はレポートの中で「この時報告していれば衝突は回避できていただろう」と書いている。なお、セスナが異常接近に気が付かなかった理由として、セスナのパイロットは計器飛行の練習飛行中で、計器を見る視覚以外を阻害する器具を装備していたため、視認による182便回避が出来なかった事が挙げられた。ただでさえ経験不足のセスナのパイロットには、景色を見ずに182便を回避すると言うアクロバット飛行は不可能だったのである。そのため、報告書ではセスナではなく182便のクルーに責任があるとされている。

 182便のクルーは、衝突寸前に「下方1機いるぞ」とセスナの存在に気が付いたが時すでに遅く、約2600フィート(790メートル)でセスナに182便の右翼と胴体後部が上から覆いかぶさるような形で空中衝突した。地上の目撃者は"バリバリ"という金属音が聞こえ、上を見上げると右翼から火を噴きながら急降下する182便が見えたという。衝突したセスナは一瞬でバラバラとなり、火を噴きながら衝突現場付近に墜落する様子を偶然居合わせた現地のテレビ局・チャンネル39が撮影していた。182便は右翼前縁部を大きく損傷、左翼のみ前縁フラップが出ている状態になったため機体は右にそれて急降下を始めた。この時、サンディエゴ郡広報局スタッフで写真家のハンス・ウェントは、スチルカメラで屋外のプレスイベントに出席している時、偶然にも落下していく182便を撮影し、この写真はテレビや新聞で使われた。ウェントの写真には右翼前縁から炎と煙を噴きながら右に傾き落下していく182便がはっきり写っていた。

9時01分49秒 機長「落ち着け、落ち着け。」
9時01分51秒 機長「どんな状況だ?」
9時01分52秒 副操縦士「最悪だ。」
9時01分52秒 機長「えっ?」
9時01分53秒 副操縦士「空中衝突しました。」
9時01分55秒 機長「タワー、墜落する・・・PSA182。」
9時01分57秒 リンドバーグタワー「・・・了解。緊急着陸の手配をしておく。」
9時01分58秒 副操縦士「もうだめだ!」
9時01分47秒 《失速警報音》
9時02分00秒 機長「身構えて!!」
9時02分02秒 副操縦士「母さん!愛してるよ!」
9時02分04秒05 《録音終了》
182便は機首を下げ、50度ほど右にバンクしたまま時速480km/hで住宅街に突っ込み爆発炎上し、巨大なキノコ雲が生成された。セスナも主翼と垂直尾翼を大きく損傷し制御不能のまま、サンディエゴ近郊のノース・パークの住宅街の道路に墜落。この事故によって、182便の搭乗者135名とセスナの搭乗者2名、地上の家屋にいた7名(うち子供2名)が犠牲となった。墜落とその際の破片の拡散により、地上にいた9名が負傷、4ブロックにわたり22棟の住宅が全壊または損傷する大惨事となった。遺体は高速で墜落し炎に巻き込まれたため損傷が激しく、外見で個人の判断ができる遺体は数体しかなかった。犠牲者の体の破片は建物の壁や屋根に飛び散り、路地には足や腕が落ち、周辺一帯は燃料と肉の焼ける匂いがする凄惨な状況を呈した。遺体は近くのセント・オーガスティン高校の体育館に運ばれた。

 今回の事故原因は、182便のクルーの視認ミスと彼らを過信して特に対策を練らなかった管制のミスが重なった結果とされた。事の切っ掛けは、182便のクルーが管制が忠告したセスナを見失ったことから始まる。先も書いたように、この時、管制にあやふやな対応を取ったことが『セスナをきちんと視認している』と言う誤解を招いてしまった。この誤解が、182便のクルーに『セスナはすでに追い抜いた』と誤解をさせてしまい、実際は追い抜いていないセスナへの注意を怠ったまま着陸作業を続行。さらに、管制も彼らの勘違いを信じ、衝突警報が鳴っていたが、セスナへの異常接近は気がついているものと考え、管制側から緊急事態を知らせなかった。これらが、2機の空中衝突と言う最悪の結果を招いた。182便のクルーも土壇場でミスに気づいたが、衝突回避の時間は殆ど残されておらず手遅れであった。この事故はパイロットエラーによって起こった事故の典型例なため、飛行訓練では必ず教えられる。この事故と1986年8月31日に起こったアエロメヒコ航空498便空中衝突事故を受け、アメリカでは全ての航空機に空中衝突防止装置(TCAS)の設置が義務付けられることになった。このシステムはその後改良され、今も空の安全を守っている。


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