アラン・ラッド



アラン・ラッド(Alan Ladd 1913年9月3日生)
 [アメリカ・俳優]


 アーカンソー州生まれ。4歳の頃に父親を亡くし、母親と共にカリフォルニア州に移る。高校時代は水泳と陸上競技で活躍し、オリンピックの出場を目指すものの、怪我のためにスポーツ選手の夢を断念する。卒業後はハンバーガーショップを開店するも、映画スタジオの裏方の仕事やエキストラなどするようになる。

 1937年、ラッドが25歳のときハリウッドで俳優のエージェントをしていた元アイドル女優のスー・キャロル(1942年に結婚)と知り合う。当時は無名俳優だったラッドの人間性と才能に惚れ込んだキャロルの尽力で、次々と人気作品に起用されスターへの足がかりを掴んだ。1941年にグレアム・グリーン原作の『拳銃貸します』で演じた非常な殺し屋役で人気を獲得する。このとき共演したヴェロニカ・レイクとは『ガラスの鍵』『青い戦慄』でも共演することになる。

 B級フィルム・ノワールの主演スターとして活躍したラッドは、1953年のジョージ・スティーヴンス監督の西部劇『シェーン』で主役のシェーンを演じ、その人気を決定的なものにする。それ以降も西部劇で主役を演じ、身長165cmと小柄ながらも精悍な身のこなしで1950年代後半までハリウッドを代表するスターとなった。だが作品数は当時のハリウッドの大スターにしては多くない。ちなみに、共演した女優より背を高く見せるため相手役の立ち位置に穴を掘らせてまで、自分の身長を高く見せようとしていたという逸話がある。

 1955年にジョージ・スティーヴンスより、壮大な家族ドラマ『ジャイアンツ』にジェット・リンク役をオファーされるが断ってしまう。その後、ジェット・リンク役はジェームズ・ディーンが演じ、ディーンの代表作のひとつとなった。1950年代後半を過ぎてからは人気に陰りをみせて自身もノイローゼになっていく。極度のアルコール依存症に陥るようになり、1962年11月に拳銃で胸を撃ち自殺未遂を図る。

 1963年には『大いなる野望』に助演し、カムバックするかに見えた。実際に『大いなる野望』は翌年公開され、その年の最も有名な映画の一本になったが、ラッドが本作を生前に見ることはかなわなかった。1964年にカリフォルニア州パームスプリングスの別荘で死亡しているのが発見される。不眠症用に服用していた睡眠薬とアルコールを多用に摂取したことが原因だった。

 ラッドの死について自殺という見方が有力だが、事故の可能性もある。ラッドは1961年にインタビューを受けた際に「もしあなたの何かが変えられるとしたら何を変えたいですか?」という質問に対して、「すべて」と冷たく言い放ったという。

 1964年1月29日死去(享年50)


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