マイケル・ジャクソン


マイケル・ジャクソン

マイケル・ジョセフ・ジャクソン(Michael Joseph Jackson 1958年8月29日生)
 [アメリカ・歌手]


 10人兄弟姉妹の7番目(六男)として、インディアナ州ゲーリーのアフリカ系アメリカ人街に生まれる。1966年に、4人の兄達と「ジャクソン5」を結成。リードボーカルとして天才児ぶりを発揮し、『帰ってほしいの』『ABC』『アイル・ビー・ゼア』『さよならは言わないで』など1970年代前半にモータウン・レコードからミリオンヒットを連発し、ソウルミュージック代表的グループとして人気を博す。1972年、ソロデビュー。1979年にクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えたアルバム『オフ・ザ・ウォール』、さらに『スリラー』『バッド』の大ヒットにより大スターの地位を確立した。1984年、ジャクソン5としての活動を休止。1985年にアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソング『ウィー・アー・ザ・ワールド』をライオネル・リッチーと共作した。

 1993年、性的虐待疑惑で訴えられるスキャンダル騒ぎが起き、芸能界から遠去かる。1994年5月、ドミニカ共和国でエルヴィス・プレスリーの一人娘リサ・マリー・プレスリーと電撃結婚(1996年1月離婚)。1995年5月、2年ぶりに音楽活動を再開し、アルバム『ヒストリー』を発表し、1996年9月から3度目の世界ツアーを行った。同年11月14日に看護師のデビー・ロウと再婚し、彼女との間には長男プリンスと長女パリスが誕生した(1999年10月離婚)。2001年にロックの殿堂入り(なお、マイケルはジャクソン5としても1997年に殿堂入りしている)。同年10月、6年ぶりの新作アルバム『インヴィンシブル』を発表。2003年11月、ベストアルバム『ナンバー・ワンズ』を発表。2008年9月、マイケル生誕50周年を記念したベストアルバム『キング・オブ・ポップ』をリリースした。

 2009年3月、「THIS IS IT」のタイトルでロンドンのO2アリーナで50回に渡る公演(2009年7月から2010年3月まで)が行われることが決定し、マイケルはこの頃より「THIS IS IT」の準備及びリハーサルに入った。リハーサルはロサンゼルスのステイプルズ・センターとザ・フォーラムで執り行われていたものの、6月25日、マイケルは自宅にて心肺停止状態に陥り、マイケルのスタッフが救急隊に通報。13時14分にカリフォルニア大学ロサンゼルス校付属病院へ救急搬送された。約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、14時26分に死亡が確認された。

 マイケルの死は各国のメディアでトップニュースとして報道され、全世界に衝撃を与えた。CNNやBBCなどが報道特別番組を組み、病院前から24時間体制で生放送を続けた。ネットでも大きな話題を呼び、Googleでは検索数が一時猛烈に跳ね上がり、「Michael Jackson」の検索がスパムとみなされ検索不可能となるという事態が起こった。2009年7月7日、「THIS IS IT」のリハーサルを行なっていたロサンゼルスのステイプルズ・センターで追悼式が開かれ、遺族や親交のあったミュージシャン、抽選で選ばれたファン等2万人が参列。当時11歳の娘、パリスは「生まれた時からずっと、ダディはこれ以上ないくらい最高な父親でした。すごく愛してるわ。」とスピーチし、泣き崩れた。

 2009年7月22日、ロサンゼルス市警察は、ロンドン公演「THIS IS IT」におけるツアー専属医として2009年5月から雇用されており、マイケル死亡時に心肺蘇生を行ったとされる心臓内科医コンラッド・マーレーのオフィスを家宅捜索した。8月24日には警察の事情聴取に対するマーレーの宣誓供述書とされるものが報道された。「不眠治療のためにマイケルに、5月中旬から6月22日までの6週間、連日プロポフォール(プロポフォールは、外科手術において全身麻酔の導入・維持に用いられる麻酔薬である)を投与した。依存症になることを懸念し6月23日にはプロポフォールの使用を中止し他の薬に切り替えたが、死亡日である6月25日には催眠鎮静剤であるロラゼパム、ミダゾラムを断続的に投与するも眠りにつかせることができず、マイケルの要求によりプロポフォールを25mg点滴投与した。それによりマイケルが眠りについた後、トイレのため2分程離れ、戻ると呼吸をしていなかった」という内容だった(呼吸抑制作用のある麻酔薬プロポフォールの投与中は、患者の呼吸状態等を常に監視し続けることが義務づけられている)。8月28日、ロサンゼルス検視当局が死因を公式発表。急性プロポフォール中毒とした上で、第一の死因はプロポフォールとロラゼパムの複合使用と指摘した。殺意の有無に関わらず、他者による外的要因により死亡したとする故殺であることも断定した。10月1日、AP通信が検死報告書のコピーを入手したと報道。内容は「検視当局による解剖の結果、肺に炎症は見られるものの息切れがあった可能性がある程度で、他の心臓や腎臓などの臓器は健康であり、マイケルの健康状態は50歳の男性として総合的に見て十分良好であった。また、AP通信が麻酔の権威である医師に報告書への見解を求めたところ、『マーレーが投与した呼吸抑制作用を持つ鎮静剤と麻酔薬プロポフォールの組み合わせが非常に危険であり、その複合作用により呼吸停止が起こった可能性が高い』と指摘した」というものだった。

 マイケルの一周忌にあたる2010年6月25日、世界中からマイケルのファンが、グレンデール市のフォレストローン・メモリアルパーク前に集まり、ゲートが開くのを待つために長い列ができた。ファンからの花やギフトなどが彼の眠る大霊廟のホーリーテラス前に設置された献花に飾られた。日本のマイケルファンのグループからの花がトラック2台分届いたが、世界中から献花された花の中では特に大きな物であったため、米国、日本のメディアの関心を引き、日本のマイケルファンの気持ちの強さを印象付けた形となった。

 マイケルの死について、以下の様な理由から一部で暗殺説・生存説が囁かれている。
◆ある芸能専門弁護士はTHIS IS ITのリハーサル映像が此処まで残っているのは不自然であるとしている。
◆「近々、我々は死の真実を手に入れる」と宣言していた弁護士のピーター・ロペスが自宅で拳銃自殺。
◆元専属カメラマンのジョン・ウィルコックもマイケルより前に亡くなっている。
◆マイケル本人は「僕は殺される」と周囲に話していた。
◆ロサンゼルスで署名された遺言書の筆跡が異なり、また子供達の名前にスペルミスが見られる。そもそも署名したとされる2002年7月7日マイケルはロサンゼルスには居なかった。
◆弁護士ブライアン・オックスマンは「これは陰謀である」と断言。
◆元主治医コンラッド・マーレーに77万ドル(約7300万円)以上の借金があった。
◆父・ジョセフは「マイケルが死んだ方が価値があると思っている人間が居る」と話している。

 2009年6月25日死去(享年50)


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